仕事あがりを少し早めに調整して、都美術館で開催中の「ゴッホ展」と「刺繍展」を観るために上野へ。

ゴッホと印象派(というかモネ?)はとにかく混む!!! というイメージがあって、それを避けるために金曜の夜間開館を狙って行ったんだけど、着いたのが5時前。まだ時間が早かったせいか、ロッカーも、ベンチが並んでるあたりのはぜんぜん空いてないくらいに混んでる…。う〜んと思いながら、企画展入口横のロッカーを使う。

※ “企画展入口横のロッカー” : 企画展示室入場ゲートの左手のお手洗いの裏の、中庭に面したホワイエにあるロッカー。ここのロッカーは人々の動線から外れてるせいか大抵空いてるので穴場だよ!近くにベンチがないのでちょっと使い難いといえば使い難いけど。

🎨 ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢

ゴッホ展 公式ウェブサイト

中に入ってもやっぱりワサワサ人が多くてよく観られず。ゴッホ展と刺繍展2つ観るからと思って早めに行って先ずは第一の目的のゴッホ展から入ったけど、観る順番を逆にすればよかったと後で思う。(と、忘れないようにここに書いておこう)

ということでよく観られてはないものの、いくつかはやっぱり人混みをかき分けても観てよかった!というものがあった。

ヴィーナスのトルソ(1886)

(ゴッホ展図録より)ヴィーナスのトルソ(1886)

(ゴッホ展図録より)ヴィーナスのトルソ(1886)

パリ時代の絵。前の暗い色づかいから明るいものに向かう過渡期、というか、この「ヴィーナスのトルソ」はその初期の、色彩の実験的な絵らしいんだけど(図録の説明より)、会場で見た瞬間ぱっと目を惹く青色がとにかく綺麗で、吸い込まれるような深さと画面の底から輝いてくるような鮮やかな透明感のある青色で「うわー、石膏像を描いてるだけなのにわたしの好きなゴッホだ!」と思う。

ゴッホの絵は、写真や印刷物ではどうしてもあの画面の底から湧き上がってくるような美しさは表現しきれないと思ってて、(あまり言いたい台詞じゃないんだけど)やっぱり本物を見ないで何だのかんだの判断するもんじゃないと…(なんとなく昔のバブル期のあれで薄っぺらいような評価がムニャムニャ)

画家としての自画像(1887-1888)

この有名な絵は2017年(『ゴッホ展 巡りゆく日本の夢』)にも来日しててその時にも観てる筈なんだけど、今回の方が印象が強い。(前回やっぱり混んでててスルーしたのかもしれないし、展示の順番の影響かもしれない)

あれ?この絵ってこんなにきらきら(語彙…)してたっけ?と思うほど色がきらきらしていて、こんなに良かったのか!!などと思う。(良い=自分の好きな絵である、の意)

ゴッホ展の図録と作品リスト。図録の表紙が「画家としての自画像」だった。展覧会のテーマとこの絵がしっかり繋がっている。

ゴッホ展の図録と作品リスト。図録の表紙が「画家としての自画像」だった。展覧会のテーマとこの絵がしっかり繋がっている。

混み過ぎてるところは適度に流しつつの鑑賞だったけど、とりあえずこの2点だけでも大満足。

やっぱり混み混みの売店で図録だけ買っていったんロッカーに戻り荷物を置いて、隣のギャラリーでやってる刺繍展へ。 ロッカー→企画展示室→ロッカー→ギャラリー入口って全部見える範囲にあるので無駄なく動いてる感じがしてちょっと笑う。

🪡 刺繍―針がすくいだす世界

上野アーティストプロジェクト2025 刺繍―針がすくいだす世界 展 展覧会公式サイト

刺繍といえば小学生の頃の夏休みの自由研究でクロスステッチのクッションを作ったね…というくらいしか馴染みがなく、この刺繍展の5人の作家も一人として知らなかったりもするんだけど、SNSで手芸を楽しんでる人たちの素敵な刺繍の写真を見かけたりして「刺繍」というものそのものにちょっと興味があって、どういうものかと楽しみにしていた。

……で、刺繍展、思った以上に!想像してた以上に!!おもしろかった!!!!!

尾上雅野「熊たちの森」

尾上雅野「熊たちの森」

「熊たちの森」の細部。刺繍ってこういうのもあるんだ、自由なものなんだな、と思う。

「熊たちの森」の細部。刺繍ってこういうのもあるんだ、自由なものなんだな、と思う。

望月真里「象は森の王様」(2020頃)
ベンガルのカンタの技法による刺し子作品。

望月真里「象は森の王様」(2020頃) ベンガルのカンタの技法による刺し子作品。

望月真里「ショール」(2001)
藍染めした布に透かし刺繍。

望月真里「ショール」(2001) 藍染めした布に透かし刺繍。

どの作品もそれぞれに良かったんだけど、自分の中で一番ぐっときたのは岡田美佳氏の作品群。